中大兄皇子の家系図や家族関係についてご紹介します。
古代日本の立役者として有名な中大兄皇子なかのおおえのおうじ。
祖先や家族はどのような人たちだったのでしょうか?
中大兄皇子と家族の関係を知ると、
中大兄皇子の「別の顔」が見えてきます。
今回は、中大兄皇子の家系や家族について、ご紹介します。
タップでお好きな項目へ:目次
- 1 中大兄皇子の家系図
- 2 天皇家の始祖
- 3 天皇陛下ばかり!中大兄皇子の家族の紹介
- 3.1 父・舒明天皇(じょめいてんのう)
- 3.2 母・皇極天皇(こうぎょくてんのう)(斉明天皇)
- 3.3 弟・天武天皇
- 3.4 義妹・持統天皇
- 4 かなりドロドロ?中大兄皇子と家族のエピソード
- 4.1 妹と恋愛関係
- 4.2 大海人皇子と三角関係
- 4.3 弟 vs 息子
- 5 きょうのまとめ
- 6 その他の人物はこちら
- 6.1 飛鳥時代に活躍した歴史上の人物
- 6.2 時代別 歴史上の人物
中大兄皇子の家系図
『古今偉傑全身肖像』(1899年ごろ)出典:Wikipedia
中大兄皇子(天智天皇)の家系図をみてみましょう。以降に登場する人物は太字になっています。
天皇家の始祖
中大兄皇子は天皇家なので、
祖先をさかのぼると皇祖神の天照大神あまてらすおおみかみに、たどり着きます。
天照大神は太陽を神格化したもので、
天照大神を奉っている代表的な神社は伊勢神宮です。
天照大神から代が下り、初代天皇となったのが神武天皇じんむてんのうですが、
現代では、実在しなかっただろうと言われています。
誰が実在する始めての天皇なのかは、わかっていません。
第10代崇神天皇、第15代応神天皇、第26代継体天皇あたりが有力だと言われています。
天皇陛下ばかり!中大兄皇子の家族の紹介
中大兄皇子自身も、後に第38代天智天皇となりますが家族も天皇ばかりでした。
天智天皇の家族で、天皇だった人物を紹介します。
父・舒明天皇(じょめいてんのう)中大兄皇子の父親は第34代舒明天皇です。
舒明天皇は蘇我家の後押しで天皇に即位し、政治の実権は蘇我蝦夷そがのえみしに握られていました。
母・皇極天皇(こうぎょくてんのう)(斉明天皇)舒明天皇の後、天皇に即位したのは中大兄皇子の母親にあたる人で、
舒明天皇の皇后、宝皇女たからのおおきみでした。
宝皇女は第35代皇極天皇として即位します。
当時は年齢の問題などで、天皇に相応しい皇子がいない場合、
「中継ぎ」として皇后が天皇になることはよくあることでした。
「乙巳の変」の後、弟の軽皇子かるのみこ(孝徳天皇こうとくてんのう)に天皇の位を譲りますが、
孝徳天皇が亡くなると、再び斉明天皇として天皇の位につきます。
同じ人が、二度、天皇になることを重祚じゅうそといいます。
とても気の強い性格で高齢にもかかわらず、
朝鮮半島での戦争(白村江はくすきのえの戦い)に備えて、
自ら筑紫つくし(現在の福岡)に遠征し、遠征中に疫病で亡くなりました。
弟・天武天皇中大兄皇子(天智天皇)が亡くなった後に、
天皇に即位したのは、弟の天武天皇です。
即位前は大海人皇子おおあまのおうじと呼ばれていました。
カリスマ性のある人物だったといわれています。
天皇中心の政治を強化し、大臣は置かず、自ら政治を主導し、
日本の律令国家(法治国家)体制を目指しました。
義妹・持統天皇天武天皇の後は、皇后の鸕野讚良皇女うのさららのひめみこが
持統天皇として即位します。
実は、持統天皇は天智天皇の実の娘でもあります。
天皇候補の皇子が幼かったため、
「中継ぎ」として即位しました。
中継ぎとはいえ、天皇として積極的にリーダシップを発揮し、
天武天皇の政治路線を引き継ぎました。
かなりドロドロ?中大兄皇子と家族のエピソード
妹と恋愛関係中大兄皇子は、実の妹の間人皇女はしひとのひめみこ
と不倫関係にあったと言われています。
当時は、親戚同士で結婚することは、よくありましたが
「同じ母親」同士の兄妹の恋愛は許されていませんでした。
(異母の兄妹は許されていました。)
さらに間人皇女は、中大兄皇子の叔父の孝徳天皇の皇后だったので、
不倫の関係でもありました。
「乙巳の変の後、中大兄皇子がなかなか天皇に即位しなかったのは、このスキャンダルが原因である」
という説もあります。
大海人皇子と三角関係中大兄皇子の弟である大海人皇子には、
額田王ぬかたのおおきみという美しい妃がいました。
二人は子どももいる、仲の良い夫婦でしたが、中大兄皇子は額田王に横恋慕します。
大海人皇子に額田王を譲るように言い、中大兄皇子の権勢を恐れた大海人皇子は
言われるままに差し出しました。
その時に額田王の代わりにと、大海人皇子に嫁がせた自分の娘が
鸕野讚良皇女で、後の持統天皇です。
弟 vs 息子中大兄皇子(天智天皇)は、大海人皇子に自分の亡き後は
天皇の座を譲ると約束していましたが、
実は、息子の大友皇子に後を継がせたいと考えていました
中大兄皇子(天智天皇)は死の間際に、大海人皇子を呼び出し、自分の死後は天皇になるように、と言いつけます。
しかしこの提案は罠で、これを受ければ暗殺されると
悟った大海人皇子は、固辞し吉野に逃れました。
大海人皇子は、中大兄皇子(天智天皇)が亡くなるのを待って、挙兵しました。
これが「壬申の乱」です。
大友皇子を倒した大海人皇子は、天武天皇として即位します。
その後もしばらく、天皇家は天武系と天智系に分かれ、対立することになりました。
きょうのまとめ
中大兄皇子の家系や家族についてご紹介しました。
簡単にまとめると
① 中大兄皇子の始祖は天照大神である。
② 父、母、弟、義理の妹が天皇になった。
③ 実の妹と不倫関係にあったといわれている。
④ 弟の妃と三角関係になり、略奪した。
⑤ 死後、弟の大海人皇子と息子の大友皇子が争い、大海人皇子が天皇の座に就いた。
中大兄皇子(天智天皇)の家族関係は複雑なものでした。
歴史の授業では英雄として扱われていましたが、実際はいろいろな側面をもった方だったのだろうと感じました。
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