聖書読んではつれづれに
<しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いた事を語り、また、これから起こる事をあなた方に告げるからである。(13節)>
「主イエスのお別れの言葉に、弟子たちの心は悲しみでいっぱいになりました。しかし主は『私が去って行くのは、あなた方のためになる』とおっしゃいます。『弁護者』すなわち聖霊が来て下さるからです。」と、久保島牧師は書きだされる。
弟子たちへの迫害の予告を話されると、16章は「これらの事を話したのは、あなた方を躓かせないためである。人々はあなた方を会堂から追放するだろう。しかも、あなた方を殺す者がみな、自分は神に奉仕していると考える時が来る。・・・しかし、これらの事を話したのは、その時が来たときに、私が語ったということをあなた方に思い出させるためである。」と主は話される。
主イエスは弟子たちを残して、ご自身を遣わされた父のもとへ行こうとされている。主は彼らに対する「迫害」や、彼らの「悲しみ」を充分ご存知であったが、「私が去って行くのは、あなた方のためになる。私が去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。私が行けば、弁護者をあなた方に送る(7節)」と約束される。
パニック状態の弟子たちにその御言葉が、どれだけ理解できただろうか。これから起こる事、またその結果を聖書で知らされている者は、それが確かにそうなっている事がわかるが。主イエスが肉体を持ってこの地上にとどまっておられた時、その働きは限定的なものであった。しかし、父子聖霊の三位一体のお働きは、際限を持たず、パレスチナから遠く離れたこの島国まで届けられた。
O牧師は「聖霊は罪について、義について、裁きについて、世の誤りを明らかにされます。罪とは、キリストを知らされながら信じない事であり、キリストの義、正しさはキリストの復活と昇天において確証されています。裁きとは一見敗北と見える十字架に勝利があることを御霊は明らかにされています。ペンテコステ以降の弟子たちには、聖霊が豊かに働き、その確信と大胆さには驚きます。」と話された。
最後に主は、聖霊は「私に栄光を与える」と言われる。「父が持っておられるものはすべて、私のものである。だから私は『その方が私のものを受けて、あなた方に告げる』と、言ったのである。(15節)」
主の姿は見えない。だからこそ、私にも、隣人にも、三位一体の神が側にいて下さると信じられる。
今日の短歌 短歌誌「塔」より
「さまざまな記号をまとう人間に少し疲れて水辺のみどり 山西直子」