地形屋の日々の仕事 geograp.exblog.jp 木曜日の授業で使います.明治後期2万「上安」「祇園」を張り合わせて作成.川内村って「輪中」なんだなと改めて気づいた次第.緑井村の集落はまさに自然堤防上にあります.広島菜産地で有名な川内地区ですが,このころは水田一色.いつから広島菜がさかんになったのでしょうか?この辺りは,太田川の氾濫原(自然堤防帯)にあたるところ.安川(一番西の川),古川(真ん中の川:江戸初期まではこちらが本流),太田川(一番東の川)の水をどのように得てきて,水田ができたのか?なぜ,八木用水を整備しなければいけなかったのか?.群馬のように近世から開発が進められてきたのとは違うことが生じているようです.八木用水は,安川と古川の間の中洲地域を灌漑するために作られました.両側に川があるから使えばいいんじゃんと思えそうですが,安川の水は,安川右岸の田の水として優先的に使われてきたので,あまり使えないし,そもそも古川にはあまり水がなかったという事情があります.水田にできる低湿な土地があるのに,水がないことから,可部のほうから延々と水をひいてきたのが八木用水ということ.群馬との比較でいえば,後背湿地に用水が流れているということが特徴として挙げられます.江戸後期という時代的なものか,あるいは開発が中世以前から行われてきたということが効いているのか.答えはでなさそうですが,面白いなと思います.今週は,最新の地形図と,昭和40年代の地形図,そしてこの明治の地形図の3枚を使って授業を組み立てようと思っています.ちなみにこの地形図に範囲内に,僕,家内の実家,弟の自宅などがあり,完全に生活圏内です. 📎📎📎📎📎📎📎📎📎📎