調所広郷の銅像~薩摩の救世主~鹿児島市天保山
調所広郷の銅像~薩摩の救世主~鹿児島市天保山

調所広郷の銅像~薩摩の救世主~鹿児島市天保山

調所広郷は、薩摩藩の財政を立て直し、その命を捧げた薩摩の英雄です。

 

CONTENTS

  • 1 調所広郷という人物
  • 2 調所広郷の像
  • 3 調所広郷の像の観光情報
    • 3.1 アクセス
    • 3.2 地図
  • 4 近くの観光スポット
    • 4.1 島津斉彬公御陣屋跡
スポンサーリンク

調所広郷という人物

第27代島津家当主・斉興(なりおき)に仕えました。

当時赤字だった薩摩藩の財政を、借金の帳消しや密貿易を行って黒字に大幅転換させました!

また、藩内では新田開発や河川改修に取り組み、甲突川には五石橋を建築しました。

 

薩摩藩は明治維新で中心的な役割を果たしますが、それは豊かな財政基盤があったからこそ可能でした。

調所広郷は強い薩摩の土台を作り上げた人物です。

琉球出兵や密貿易の責任から主君を守るため、責任を自分一人の身で背負い、1848年(嘉永元年)、服毒自殺をしました。

 

調所広郷の像

鹿児島市天保山の松林に静かにたたずんでいます。

その瞳の見つめる先は、薩摩の未来なのでしょうか。

 

調所広郷の像の観光情報

アクセス

鹿児島中央駅から車で約15分。

地図

調所広郷

 

近くの観光スポット

島津斉彬公御陣屋跡 合同会社SHK島津斉彬公御陣屋跡~鹿児島市荒田~https://kagoshimalove.com/nariakira-war-camp鹿児島市荒田の天保山中学校の一角にある、島津斉彬が軍隊の訓練を指揮した場所(陣屋)跡の紹介です。 島津斉彬公御陣屋跡島津斉彬は島津家第28第当主です。 島津斉彬(出典wikipedia) 島津斉彬は1851年(嘉永4年)以降、この一帯(天保山調練場)で、洋式調練や砲術、騎兵、工兵などの訓練を行いました。  時代背景島津斉彬の時代、欧米列強は清(当時の中国)を植民地化するなど、アジア進出してきました。日本沿岸にも黒船が訪れるようになり、日本国内は「開国」か「攘夷(外国船を打ち払うこと)」かで揺れてい...
📎📎📎📎📎📎📎📎📎📎