北海道アイヌ探訪記(9)阿寒アイヌコタン
北海道アイヌ探訪記(9)阿寒アイヌコタン

北海道アイヌ探訪記(9)阿寒アイヌコタン

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阿寒にあるという「アイヌ部落」

北海道にアイヌ部落は残っていないのか尋ねると、必ずと言っていいほど話題に出てくるのが白老(しらおい)と阿寒(あかん)である。

白老については、国策として進められているもので、全く人工的なものであることは誰しも認めるところである。しかし、阿寒については比較的古くから存在しているという。しかし、アイヌから阿寒の話題が出るときは決まって「あるとすれば阿寒ですかね…」と何かしら含みのある答え方をされる。

また、とある人から阿寒に行くなら「デポの店」を訪ねるとよいとのアドバイスを受けた。ともかく、阿寒に行ってみねばなるまい。

阿寒といえば阿寒湖のマリモが有名であり、北海道でも有数の観光地である。しかし、交通手段として鉄道は使えず、高速道路は途中までしかない。旭川から行くとしても、本州で言えば東京から名古屋まで自動車で行くくらいの時間がかかる。

筆者は夕方に旭川を出発した。阿寒に着く頃には夜になってしまうので、いずれにしてもどこかで一泊する必要がある。宿泊場所として選んだのが、阿寒から比較的近い津別町(つべつちょう)にある「北海道でてこいランド」である。地元有志により運営されているアットホームな宿泊施設で、素泊まりであれば一泊わずか2000円である。筆者のような取材旅行にも、家族旅行にも、学校やサークルの合宿にも最適だ。

津別で地元の方に阿寒のアイヌについて聞いてみると、こんな話をしてくれた。

「阿寒には長老がいて、その方は純粋なアイヌらしいです。つまり両親もアイヌ、おじいさんもおばあさんもアイヌです」

ついに本物のアイヌに会えるのか、それを聞いて筆者の期待はますます高まった。

翌日、筆者は阿寒に向けて車を走らせた。その途中、筆者は道路沿いにあっと驚く看板を見つけた。これを見逃す手はないと、わざわざ引き返して、その看板の近くに車を止めた。

「アイヌ部落 この先18㎞」

出版・放送・広告業界にとっては、「アイヌ」も「部落」も言わば要注意用語である。その2語が組み合わされて、この大きさ、この書体で現れるとインパクトがある。しかし、そう感じるのは勝手な思い込みであって、北海道においてはアイヌ部落という言葉にタブー感はない。

むしろ、地元の人に「集落」や「コタン」と言うと、わざわざ部落と言い直されることがあるくらいで、さいしょからアイヌ部落と言ったほうが手っ取り早い。

とにかく、この先に間違いなくアイヌ部落があるのだ、

北見から阿寒湖方面に向かう国道240号線沿いにある看板。

さらに進むと、再びアイヌ部落という看板があり、それらしい建物が見えてきた。早速車を降りて辺りを見渡すと、トーテムポールが何本が立っており、アイヌというよりはインディアンを思わせる雰囲気になっている。

早速、「アイヌ部落」の中に入ってみた。そこには観光客向けの土産物店や飲食店が軒を連ねており、どう見てもテーマパークである。

「アイヌ部落」のメインストリート。

長崎のハウステンボスが本物のオランダ村だと思う人がいないように、これは本物のアイヌ部落ではないだろうと最初は思った。しかし、テーマパークとしてはよく出来ている。せっかくなので土産物店で木彫の置物などを買いつつ、店の人に聞いてみた。

「この辺りに実際にアイヌが住んでいる部落はないのでしょうか?」

店員の答えは意外なものだった。いや、意外というより筆者が穿(うが)った見方をし過ぎていたのだろう。

「ここがアイヌ部落ですよ。店の2階に住んでます。和人もいますけど、ほとんどはアイヌの家です」

なんと、本当にアイヌ部落だったのだ。たまたま主産業が観光業であり、職場と住居が一致しているというだけで、アイヌ部落であることは間違いない。さらに、津別町で耳にした長老や純粋なアイヌについても聞いてみた。

「長老はもう亡くなりました。ただ、その息子さんがおります。純粋なアイヌと言えば、他にも5,6人いたような気がしますが、たぶんあの人たちは違うし、やっぱり純粋なアイヌと言えば長老の息子さんのことですね」

そして、その「長老の息子さん」の店こそが「デポの店」であることを知った。デポの店を訪ねろとは、こういうことだったのだ。

筆者は早速デポの店を訪れ、話題の人物である秋辺(あきべ)日出男(ひでお)氏に会うことができた。

アイヌの「長老の息子」

店名の由来は、秋辺氏の下の名前を縮めて呼ばれた「デポ」というあだ名である。その秋辺氏は、ひげをたくわえ、腕の毛が濃くて彫りが深く、いかにもアイヌらしい風貌(ふうぼう)の人物である。早速、金子市議の問題について聞くと、逆にこう聞かれた。

「それでは、あなた達は何民族ですか?」

ついに本物のアイヌに会えたと勝手に浮かれていた筆者は、その質問にしばらく沈黙した。とりあえず、自分が何民族か意識したことはないと答えた。

「それが、問題なんですよ。アイヌ民族否定派は、まず民族とは何かということから理解していない」

「例えば、イギリスのスコットランドの独立が問題になっていて、ニュースキャスターが英語とスコットランドの言葉にあまり違いがないということで、それなら同じようなもの何ですねと言ってたけど、それ聞いてカチンと来たね。そのわずかな違いがどれほど大きなものか」

いわゆる日本民族のように力があり数も多ければ、民族を意識する必要はない。在日コリアンや中国人も本国があり、大きな力を持っている。しかし、アイヌのようにマイノリティであってなおかつ抑圧されてきた民族は、自分の民族を意識して主張しないと、消えてなくなってしまうというのだ。

「ただ現在だけを切って見るのではいけない。アイヌは土地を奪われたし、文化を奪われた、アイヌ語も儀式も禁止された。そういった歴史の積み重ねの上に今がある」

このアイヌ部落も、古くからアイヌ部落があったわけではなく、またアイヌの土地でもない。薩摩出身の前田(まえだ)一歩園(いっぽえん)の土地であり、1950年代にアイヌの文化振興のためという条件で、阿寒湖周辺地域のアイヌに無償貸与されたものだ。

これから、アイヌの伝統をどうやって守っていくのか。それを問うと、意外なエピソードを聞くことになった。秋辺氏は、イヨマンテを行うために子熊を飼っていたが、結局果たせなかったという。なぜか。

「可愛いんだわ。人間の子供より可愛がって育てたんだから」

イヨマンテの実行は、長老にまでも反対されてしまったという。しかし、問題はそこではない。

「例えば、首を切ったことなくても、クビと言えば日本人なら意味がわかるし、詰め腹と言ったら外人には1時間は講義しないと伝わらない、でも日本人なら分かるでしょ。テレビ見れば水戸黄門があるし大岡越前があるし、恵まれてるよ。アイヌにはそれがないの。その現状を何とかしたいけど、分からないでしょ」

白老に作られようとしている、民族共生の空間について、秋辺氏は大いに評価する。

「あれは俺がやりたい事を実現するための第一歩として、よい宣伝塔になる。北海道に残された負の遺産を元に戻すために、日本政府とアイヌが一緒になって頑張りましょうということ」

秋辺氏は、狩猟文化の復活も目論んでいる。狩猟免許を取れば今でも出来るのではないかとも思うが、和人から与えられた免許では意味がないのだという。

しかし、秋辺氏はアイヌの独立についてはきっぱりと否定する。

「北海道の開拓民はもう4代目になる。アイヌが土地を奪われた、虐げられた、そうならなおさら今いる人に同じことをやったらいけないでしょ。今いる人に迷惑をかけないようにしないといけない。だから、アイヌの独立というのは求めないわけ」

部落解放運動は、子供を巻き込んでの同盟休校や確認・糾弾といった過激な手法で権利を獲得してきた歴史がある。しかし、力で虐げられた者が、同じ様に他者を犠牲にするようなことをしてはいけないというのが秋辺氏の考えだ。

もう1つ秋辺氏が主張するのは、国家と民族は別だということだ。あくまで、日本国内で高度なアイヌの自治権を確立し、言わばアイヌ自治区を作るというのが秋辺氏の構想である。

また、こんなエピソードを話してくれた。

「北教組の大会で講演した時に、日本民族の復権を訴えたら、嫌そうな顔をされた」

北教組と言えば、言うまでもなく左翼と言えるだろう。マイノリティに対する取り組みは左翼が好むことであるのだが、アイヌ問題については矛盾するところが多い。秋辺氏の考えはアイヌ民族の復権であり、言わばアイヌナショナリズムである。アイヌ民族のナショナリズムを認めるのであれば、当然日本民族のナショナリズムも認めなければならない。

秋辺氏をはじめ、アイヌとしてアイヌ民族の復権を訴える人を見て感じるのは、あくまでアイヌのことを考えているということだ。しかし、アイヌに関心をもつ「和人」は何か別の思惑を持ちがちだ。

「俺は右翼にも左翼にも嫌われている。例えば天皇について、左翼は何で天皇制に反対しないんだと言う。一方、右翼は天皇万歳しろという。でも、それは津軽海峡の向こうの話でしょ。もともと外国だったんだから。北海道が日本になったからと言って、いきなり天皇万歳できるわけでもないし。でも本州の人たちが天皇万歳するのは当然のことでしょ。自分たちのボスなんだから。他人の神様のことをとやかく言おうとは思わない」

また、西日本で行われた部落解放運動についても、秋辺氏は疑問を感じていないわけではない。特に、糾弾会についてはこう批判する。

「あれは、検察官と被害者だけの、弁護人のいない裁判で、これこそ人権侵害でしょ。アイヌにはチャランケというのがあって、当事者が発言することはせずに、親族が双方の弁護人になって裁判をする仕組みがあった」

また、差別を理由に役所に強引な要求をする行為も、秋辺氏は「人権テロリスト」と批判する。

ところで、筆者にはまだ疑問があった。現状、アイヌの文化振興には税金がつぎ込まれている。当分この状況は続くか、ますます強くなっていくだろう。そもそも、政府の予算とは関係なく、アイヌ独自の文化というのは果たしてあるのか。それについて、秋辺氏は「アイヌ文化を取り戻させる義務を政府は負っている」として、こう答えた。

「昭和25年に阿寒川に発電所を作られることになった時に、電力会社に阿寒湖のマリモの保護の運動をやった。ただ、当時は自分らもマリモを採って観光客に売ってたので、それをやめて、売ったマリモを返してもらうという、日本で最初のトラスト運動をやった。ただ返してもらうのも何だからアイヌの儀式をやろうということになった。アイヌの踊りなんて、目立ったことをするのは当時のアイヌは嫌っていたけど、阿寒湖ならみんなが踊っているからそれほど目立たないということで、年に1回あちこちからアイヌが来て踊るようになった」

これを機に、北海道の各地にアイヌ舞踊の保存会ができた。そして昭和48年、当時の文化庁の役人がその映像を見て、無形文化財に指定することを提案し、一括して8団体が指定されることになった。アイヌ文化振興法が出来てからは行政の予算がつくようになったが、最初は全く自腹を切ってやっていたことだったという。

しかし、筆者が求めているものとは少し違うように感じた。もっと生活に密着したところで、自然な形で受け継がれてきたアイヌの文化というのは現存していないのか。

筆者が問うと、そういったものは見えないところにあるという。

「プライベートでもアイヌの儀式をやることがある。例えば遠くに出張する場合に、そういう儀式をやる。それから、個人的に丸木舟を作って、その時に作る前と、進水式の儀式をやったことがある。それから、家を作ったときにアイヌ式の地鎮祭の儀式をやったことがある。そういうことをいちいち宣伝しないが、見えないところに、ちゃんとある。それがさっきの質問の答え」

そして、信仰については、仏教や神道など和人と同じ一般的な宗教に属している人もいる。しかし、一方でこのようなエピソードを話してくれた。

「親父の葬式をどうするか聞いた時に、親父は長老だから、アイヌ式でやってくれと言って。それで俺はわかったよ。ああ、近くの寺でやって欲しいんだなって。阿寒湖にはアイヌの葬式を出来る人はいないから、アイヌ式でまともな葬式ができるわけがない。でも、引導渡しはアイヌ式でやったよ」

では、そういった文化と、日本各地に残る文化を比べて、特にアイヌを「民族」と呼べる根拠は何かというと、秋辺氏は明確には答えず、その代わりこう語った。

「本州も東北異国は豊臣秀吉に攻められる前は異民族だった。明治維新後に廃藩置県になる前は、あちこちが部族だったと思う」

一方、アイヌが引きずっている負の遺産もある。

「これは、これから何百年かすれば解決することなんだろうけど、自分の場合は、朝起きた時に顔を洗わない、歯を磨かないというのがあった。そういった習慣を未だに引きずっている」

アイヌ協会で起こっている不正受給の問題についてはどうか。

「札幌でいろいろな問題があったとは言われているけど、はっきりした証拠がないんじゃないかな。自分も支部長をしてたけど、阿寒の支部はそんなことないし、今の(阿寒アイヌ工芸協同組合の)組合長なんて、クリーンな人だべ」

また、アイヌ対策全般に批判的な砂澤(すなざわ)陣(じん)氏について聞くと、こう答えた。

「彼の言ってることは、嘘ばっかり。この前は、わざわざ元旦の時アイヌシアターに来て、誰も客が来ていないなんて言ってた。1年で一番ここにお客さんが来ないのは正月です。踊りも休みだし」

ちなみに、「アイヌ部落」という名前について、やはり西日本の人にはインパクトがあり過ぎるようで、観光会社がそのままの名前で紹介するのを避けるという問題が生じているという。そこで、徐々に「アイヌコタン」(コタンはアイヌ語で部落の意)に変えている。本稿で紹介した「アイヌ部落」という看板もすでにいくつかは入れ替わってしまっているはずだ。

「まあ、俺は観光アイヌだから」

最後に、秋辺氏は自嘲気味にそう言うのだった。

(次回に続く)

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