「俺は理不尽だと思う」三沢光晴と馬場元子さんが大口論! 阪神・淡路大震災の2日後…大阪大会決行の舞台裏
川田(右)と小橋の激闘に館内から「全日本」コールが湧き起こった(1995年1月、大阪府立) すべての写真を見る(3枚) 「俺は理不尽だと思う」三沢光晴と馬場元子さんが大口論! 阪神・淡路大震災の2日後…大阪大会決行の舞台裏 2026年1月25日 10:00 木明勝義 コメント|6【プロレス蔵出し写真館】今から31年前の1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、近畿地方を直下型の大地震が襲った。
日本における戦後初めての大都市直下型地震「阪神・淡路大震災」が発生し、淡路・神戸・阪神間の市街地を大きな揺れが襲った。兵庫県淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡の深さ16キロを震源として、マグニチュード7・3、震度は最大7を記録した。
犠牲者は6434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものだった。
さて、大震災直後の関西地区における最初の大きなスポーツイベントが、19日の全日本プロレス大阪府立体育会館大会だった。
メインイベントは3冠ヘビー級選手権で、王者・川田利明に小橋健太(後の建太)が挑む一戦。全日プロは〝兵庫県南部地区地震チャリティーイベント〟として予定通り開催した。チケットは完売だったが、時期が時期だけに客足が心配されたものの5600人と、ほぼ満員の盛況だった。
試合は両者一進一退の攻防を見せ、残り時間3分に川田がジャーマンを連発。残り時間30秒、小橋をパワーボムの体勢に入った川田だが、小橋も必死に耐える。ついに60分タイムアップとなり、川田が王座初防衛に成功した。コーナーにへたり込んだ小橋の手を取って観客の声援に応える2人。会場からは全日本コールが湧き起こった。
試合後、小橋は「兵庫の祖母とは、無事という確認が昨日取れた」と話すと、川田は「勝てなくて悔しい。ああいう災害の後なんでやりたくない気持ちはあったけど、お客さんが盛り上げてくれてうれしかった」と満足げに語った。
三沢光晴は「今日は川田も立派だったし、小橋も立派だった」と2人をたたえた。
ところで、開催を決定するまでには三沢と馬場元子夫人の激しいやりとりがあったという。和田京平レフェリーが明かす。
「三沢が『この状況で興行はやらない方がいいんじゃないですか』って進言したら、元子さんが『三沢君、でもね。大阪と神戸は違うよ』って。それから『オレは理不尽だと思う』『あなたがわからないだけなの!』。元子さんの、あの口調で激しくやり合った。(ジャイアント)馬場さんは黙って2人のやりとりを聞いてた。オレは三沢をなだめた」
「そしたら、元子さんが『じゃ来れない子のためにビデオ撮ろうよ』ってアイデアを出した。チケット持ってるけど、神戸から来れない人にビデオと交換してあげようという話で決着した(※4月のチャンピオン・カーニバル入場券でも可となった)」
「フタ開けてみたら満員になって、お客さんは満足してたよね。元子さんが言う通り、神戸と大阪は違ってた。関西人の元子さんならではの判断だったと思う。元子さんが三沢とやり合ってなければ中止にしてたかも。あの興行に関しては元子さんの勝ちだったね。ビデオ撮るって発想も元子さんならでは。ファンの気持ちを考えてた」
会場に来たファンも開催したことを喜んでいた。「家は鉄筋アパートだったので助かった。昨日バイクで千里に逃げて来た。チケットは持ってなかったけど、新聞にやると書いてあったので来た」という神戸大生がいれば、「プロレスを見て、そのときだけでも暗い気分を吹き飛ばしたかった。中止の方がはるかにショック」という会社員もいた。
和田レフェリーは「三沢と元子さんがあんなにやり合う姿は、そうそうない。三沢が全日本を出て行くときより、激しくやり合ってた。あの時は『元子さん、我々は辞めます』『じゃあなたたちの好きにすれば』っておとなしく退いたからね。大阪の大会に関しては一歩も引かなかった」と回想した。
馬場は試合前に「全選手のファイトマネーを全額、被災地に送る」と発表。「全日プロからではない。プロレスを愛してくれるお客さんからのものです」と報道陣に説明した。
義援金カンパには馬場が先頭に立った(1995年1月、大阪府立) すべての写真を見る(3枚)ところで、震災後しばらくして、馬場がFC「キングスロード」会員の自宅を慰問したことが明らかになった。
和田レフェリーは「元子さんの実家(兵庫県明石市)は壁が落ちたり、めちゃくちゃになってたから馬場さん、仲田龍(リングアナ)、リング屋さんと三宮駅あたりから電車に乗って向かった。馬場さんは車内でずいぶん注目されてた(笑い)。1週間ぐらいしたら、ある程度片付いた。馬場さんは会社に電話を入れてキングスロードのファンクラブの名簿を送れって言って、その住所を見て、電話したんだよ」。
「ホームセンターで水、ガスコンロ、カップ麺、トイレットペーパーとか必要なものを大量に買い込んで車に積み込んだ。馬場さんが目立つの嫌だからって昼間は動かずに、夜、住所を見ながら一軒一軒回った。半壊した家から子供が出て来て『家を守ってるんです。泥棒に入られたら困るから』って。馬場さんは『大変だったね』って声かけてた。(家の)張り紙を見て避難所にも行った。会員の子を呼び出して、『頑張んな』って、馬場さん自ら力づけてた」
FC「キングスロード」の会員と記念撮影に納まる馬場。ファンを大事にしていた(1995年5月、新潟・三条市) すべての写真を見る(3枚)マスコミにリリースを流すわけでもなく、マスコミを引き連れてのパフォーマンスもない。いかにも馬場らしい行動だった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る
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