関東大震災から100年、多くの人が知らない「派出看護婦」たちの「全身全霊の救護活動」
2023.09.01- #地震・原発・災害
田中 ひかる
歴史社会学者
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今からちょうど100年前の9月1日、正午過ぎ。現在のJR飯田橋駅付近で、直前の大地震によって怪我を負った人々の救護にあたる、白衣の女性たちがいた。
「日本最初の看護婦(現在の呼称は看護師)」と言われる大関和(おおぜき・ちか)率いる「大関看護婦会」の看護婦たちである。
その後、大地震は火災を引き起こし、東京、横浜を中心に10万5000人以上の死者、行方不明者を出すことになる。関東南部を襲ったこの未曾有の大災害は、のちに「関東大震災」と呼ばれる。
-AD-「日本のナイチンゲール」大関和とは?
大関和は、江戸末期に黒羽藩(現栃木県大田原市付近)の家老の娘に生まれた。若くして結婚し、二児をもうけるが、妾の存在が許せずに離縁して上京。さまざまな職業を経て、アメリカ人宣教師たちが設立した「桜井看護学校」の第1期生となる。得意の英語を活かして最先端の看護学を身につけ、卒業後は、現在の東京大学医学部附属病院の看護婦長となる。白衣姿で颯爽と働く姿は、患者たちの人気を集め、メディアは「日本のナイチンゲール」と報じた。
桜井看護学校の第1期生。前列右から2人目が大関和しかし、自律的に働こうとする和は医師たちと反りが合わずに退職。紆余曲折を経て「派出看護婦」となった。派出看護婦は、看護婦会に所属し、各家庭へ派遣されて看護を行う。すでに看護婦として名を馳せていた和への派出依頼は引きも切らず、鷹司公爵家、徳大寺侯爵家、三井男爵家などの名立たる家々が得意先となった。
和は明治42年(1909年)に自ら「大関看護婦会」を立ち上げ、看護婦の養成も行う。多いときで約50人の看護婦が所属していた。クリスチャンとして廃娼運動(公娼制度廃止運動)にも関わっていた和は、遊郭から逃げてきた女性たちを積極的に受け入れ、看護婦として経済的自立を図れるよう力を貸す。看護婦たちを連れて東京府内の貧民窟や遊郭を訪れ、慈善看護や衛生指導も行った。
持病のリウマチが悪化したため、64歳で看護婦としての第一線から退いたのは、関東大震災前年のことである。以後は、飯田町(現飯田橋)の自宅兼看護婦会となっている建物で、寄宿している看護婦たちと同居しながら、のんびりと暮らしていた。
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