「引っぱり出した内臓を口からぶら下げたまま、じっと老人を見すえて…」ヒグマと鉢合わせた“熊撃ち名人”の“その後”
「引っぱり出した内臓を口からぶら下げたまま、じっと老人を見すえて…」ヒグマと鉢合わせた“熊撃ち名人”の“その後”

「引っぱり出した内臓を口からぶら下げたまま、じっと老人を見すえて…」ヒグマと鉢合わせた“熊撃ち名人”の“その後”

「引っぱり出した内臓を口からぶら下げたまま、じっと老人を見すえて…」ヒグマと鉢合わせた“熊撃ち名人”の“その後” コピー ヒグマ(北海道斜里町) ©時事通信社 もっと画像を見る

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 戦前~戦後の北海道の奥地では、ヒグマの気配を身近に感じて暮らしていた人間とヒグマの死闘が繰り広げられていた。“熊撃ち名人”を襲った手負いヒグマの恐怖などが克明に綴られた名著『羆吼ゆる山』(今野保著、ヤマケイ文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目、後編に続く)

ヒグマ(北海道斜里町) ©時事通信社

◆ ◆ ◆

熊撃ちの名人と呼ばれた大友さん

 三石(みついし)川を十キロあまり遡ったところに幌毛という部落(現在の富沢)があった。その幌毛に、熊撃ちの名人と呼ばれた大友さんという老人がいた。大友さんの家は幌毛の部落でも一番奥の方で、三石川の流れがそこから先で狭まるところに立っていた。老人は一人暮らしであったので、畑を少しばかり作って野菜や豆類などを育て、水田も少し耕作して自家用の米を不足のない程度にたくわえていた。

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 そんな農作業の合間をみては、古い村田銃の二十八番を背に山歩きをするのが老人の唯一の楽しみであった。冬の農閑期には、毎日のように三石川の奥まで足を運び、獲物を狩っては換金して、あまり不自由でない暮らしをしていたようであった。

 当時、日高の山では、どこへ行っても羆の足跡が見出され、その姿を目にすることも屡々(しばしば)であった。老人は、そんな山に入って毎年のように二、三頭の熊を撃ちとるので、部落の人たちからは、「熊撃ちの名人だ」ともてはやされていた。

 秋の穫り入れもたけなわのある日のこと、隣りの主人が大友さんを訪ねてきて、

「大豆畑が荒らされているから、ちょっと調べてみてほしいんだが」

 と言った。

「畑が荒らされているって、どんな具合いにかね」

「うん、大豆のニオが一部こわされて、バラバラになっているところがあるんだよ」

「そうか、足跡はついてないのか」

「うん、ハッキリとは分からないけど、シカでないかと思うんだ。シカだったら、一晩であの畑ぐらい荒らしてしまうべもよ」

「そうだな。よし解った、すぐ仕度して行ってみるよ」

 そう約束して主人を帰した老人は、銃の準備をしてから、その大豆畑に行ってみた。畑の縁についていた足跡は、思ったとおりシカの足跡で、大きな牡のものであった。この牡ジカが群れのボスであったなら、今夜あたりは沢山の牝を引き連れてやってくるかもしれない。そうなれば、せっかく丹精して作ったこの大豆は、それこそ、ほんの一晩で喰い荒らされてしまうだろう。これは、ほうってはおけないな、と老人は肚を決めた。

 その頃、シカは保護獣に指定されていて、おおやけには捕獲することができなかったが、作物などに被害を与えたときなど、有害獣として射殺されることもたまにはあった。

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