月収最高1億8000万円「ストリップの帝王」の数奇な生涯
月収最高1億8000万円「ストリップの帝王」の数奇な生涯

月収最高1億8000万円「ストリップの帝王」の数奇な生涯

2017.12.31
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月収最高1億8000万円「ストリップの帝王」の数奇な生涯

すべてを明かした

八木澤 高明

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「ストリップの帝王と呼ばれる人がいるんですけど、知ってますか?」

とあるストリッパーからそんなことを言われたのは、今から8年ほど前のことだ。ストリップの帝王なる肩書きに興味を持った私は、ぜひとも会ってみたいと思った。

長野県諏訪市にある諏訪フランス座という劇場を経営しているという。帝王という呼称からして、東京や名古屋、大阪といった大都市の劇場を切り盛りしているのかと思ったが、長野県の諏訪という、歓楽街のイメージが無い街にいるという。

それが、この人物の得体の知れなさを物語っているような気がして、俄然取材意欲が湧いた。

八木澤氏が「ストリップの帝王」を追った一冊

凋落著しい劇場で

当時、私は斜陽というよりは、落日寸前の芸能であるストリップの取材をするため、全国のストリップ劇場を訪ね歩いていた。ストリップに関わったのは、横浜黄金町の黄金劇場に足を運んだことがきっかけだった。

Photo by iStock

横浜黄金町は、2005年に摘発で消えるまでは全国に知られた売春地帯で、250軒もの「ちょんの間」が存在していた。そこで春を売っていたのは、主に東南アジアや南米から来た娼婦たちだった。彼女たちの取材をしていくうちに、ちょんの間が建ち並ぶ通りから大岡川を挟んで対岸に、看板はあるものの、照明は灯ることがなく、やっているのか潰れているのかもわからないストリップ劇場があることに気づいた。

取材の許可をもらうために初めて黄金劇場に足を運ぶと、前掛けをしたひとりの女性が出迎えてくれた。劇場主で元ストリッパーの島根ママだった。

それから頻繁に足を運ぶようになったが、観音開きのトビラを開けると、毎度の島根の威勢の良さとは裏腹に、ステージのまわりには指で数えられるほどの客しかおらず、裏びれた空気に包まれていた。

じめじめとしたコンクリートの床から生えてきたような椅子に私も腰を下ろし、舞台を眺めた。改めて劇場の中を見回すと、客の数は5人。果たして経営を続けていけるのか、部外者の私が余計な心配をしたくなる客の入りだった。

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島根はすぐに私のことを信用してくれて、楽屋から劇場内まで好きに取材していいと言ってくれた。

劇場の2階にある楽屋では、年配の踊り子たちの姿が目立った。若い踊り子たちは、ギャラも高く、黄金劇場の客の入りではギャラを払うことができず、呼ぶことができないのだった。必然的に顔ぶれは代わり映えしないようになり、新規の客は見込めず、常連の客たちだけで、劇場の経営は低空飛行を続けているのだった。

場末の劇場ではあったが、黄金劇場を取り巻く人間模様は私を引きつけ、ストリップの取材を続けるきっかけとなったのだった。

「帝王」の名に似つかわしくない風貌

諏訪フランス座は上諏訪温泉内の観光ホテルが建ち並ぶ一角にあった。劇場の入り口で、瀧口の取材を仲介してくれた踊り子と落ち合い、中へ入った。

チケット売り場の前で、常連客と思しき男たち三人がタバコを片手に談笑していた。そのうちの1人が、瀧口だった。帝王という呼び名から、脂ぎって恰幅の良い男を想像していたが、目の前の瀧口は痩せていて、どこにでもいるような老人だった。

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その日、午後九時過ぎに劇場は営業を終え、私は瀧口の部屋へと通された。彼は劇場の1室に寝泊まりしているのだった。改めて向かい合うと、小柄で痩身ながら、眼光には何事にも動じないような落ち着きがあった。

「元々、私は銀行マンだったんですよ」

嘘か真か、出だしから思いもしないことを言った。出身地は九州の宗像市で、地元の進学校として知られている宗像高校を卒業し、銀行マンとなったのだという。

私たちがいるのは、場末のストリップ劇場である。インタビューの始まりとともに心がざわついた。私の心のうちはどこ吹く風で、瀧口は次から次へと、真偽を判じかねる話を続けていく。

月収は最高で1億8000万円ありました。あまり金の管理には興味がなくて、事務所の人間に任せて、私は博打にすべて注ぎ込みました。それだから、手元にはほとんど金が残っていないんです。何でそれだけ稼げたって? それはですね、私のプロダクションには多い時で300人の踊り子がいたからなんですよ。踊り子を全国の劇場に手配していたから、それだけの収入があったわけなんです」

瀧口は昭和50年からストリップの世界に身を投じたという。その当時、全国には約200軒以上の劇場があった。

Photo by iStock

劇場の多くは今とは違って、1回、1回入れ替え制で、温泉場の劇場などでは、後から後から客が詰めかけてきて、正面出入り口から客を入れ替えることができず、踊り子たちの楽屋口から客を出したこともあったほど、ストリップ劇場は連日大入り満員が続いていた。当然ながら、踊り子のギャラも今とは違い、入ってくるマージンの額も多かった。

「踊り子は10日ごとに各地の劇場をまわるわけですが、私が手配した踊り子で一番高額だったのは愛染恭子でした。手にしたマージンは10日で800万でした。破格のギャラで最初はのせる劇場を見つけるのが大変でした。名古屋に1000人収容のカイケイ座という劇場があって、そこにのせたんです。そうしたら大好評で、全国から引く手数多で、お盆やゴールデンウィークの時のマージンは1千万円になりましたよ」

指名手配され、時効まで逃走生活

瀧口は、日本人の踊り子だけでなく、フィリピン人などの外国人の踊り子たちも日本に入れた。

「昭和50年代ですね、私がフィリピン人の踊り子たちを入れたのは。彼女たちは観光ビザで働いていたものですから、私は警察に全国指名手配されて、読売新聞の社会面に5段抜きで記事が出ました。

指名手配された時は、何百人もの踊り子、従業員を抱えていましたから、捕まるわけにはいかなかったんです。職業安定法違反は7年間で時効なので、ヤクザの親分や建設会社の社長に住む場所を提供してもらったりして、逃げ切りました」

Photo by iStock

当時、フィリピン人の踊り子たちは、ストリップを披露するとともに劇場の一室やステージ上で客の男たちに体を売っていた。彼女たちが行なっていたのは売春であり、しかも観光ビザでの就労という、無法行為そのものだった。

瀧口は、金儲けの話も悪事も、大げさに虚勢を張るのではなく、淡々と表情を変えずに話したのだった。

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元々、瀧口がストリップ業界に身を投じたのは、実の姉から「お前は銀行に勤めているのだから劇場の帳簿をつけに来い」と言われたことがきっかけだった。実の姉とは、レズビアンショーで知られ、一条さゆりと双璧をなした伝説のストリッパー桐かおるだ。

世間一般の常識からすれば、そんな申し出をする姉もないだろうし、弟も断るだろう。ところが瀧口は、その日のうちに辞表を出し、残務整理をして、1ヵ月後には当時姉が経営していた木更津別世界劇場の門をくぐった。

「その当時、妻子はいましたけれど、姉の申し出だったんで、私の一存ですべて決めたんです」

瀧口はボストンバッグひとつで、博多駅から新幹線に乗って木更津へと向かった。妻とは3年後に離婚し、銀行マン時代に建てた家と買っていた土地を渡した。

銀行マンからストリップ業界への転身。聞いたことのないような身の振り方をきっかけに、瀧口の人生は思わぬ軌跡を描いていくことになる。

ヤクザとの抗争

瀧口はストリップ業界の慣習をまったく気にかけなかった。この時代、当たり前のように、ヤクザは劇場にみかじめ料を要求した。さらには、踊り子にはマネージャーと称したヤクザまがいのヒモの男たちが必ずくっついていて、踊り子たちの稼ぎをもとに、楽屋で賭博などに興じていた。

「理屈に合わない金は払いたくないですし、ヒモたちは仕事も何もしないで、踊り子の稼ぎを吸い上げているだけなので、そうした連中を私が関わっていた劇場からは一掃したんです」

当然ながら、瀧口の毅然とした態度はヤクザの反感を買い、時にはヤクザ相手に大立ち回りを演じ、生傷が絶えなかったという。

それにしても、次から次へと奇想天外な話が溢れ出てきて、話は終わらず、2晩ほど私は徹夜で話を聞いた。

瀧口の話は、私がまったく見たことも聞いたこともないストリップ業界の話であり、おとぎ話のようですらあった。瀧口は、ストリップの帝王と呼ばれるまでに業界内で上り詰めるわけだが、バブル以降の不景気や性産業の多様化などによって、潮が引くように、ちょうど私が出会った頃、ストリップは真冬の時代を迎えていた。

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瀧口は全盛時には300人の踊り子を抱えていたプロダクションを解散し、諏訪フランス座で面倒を見ている踊り子は2人に過ぎなかった。

傍から見れば没落したプロモーターということになるが、瀧口はそうした状況を全く意に介しておらず、泰然自若としていた。私は諏訪フランス座での出会いから瀧口の取材を続け、瀧口の娘や、袂をわかった息子をはじめ関係者を行脚し、発言の裏付けをとり、その生き様を『ストリップの帝王』(KADOKAWA)にまとめた。

私はこれまで社会の日陰に生きる娼婦たちなどを取材してきたが、やはりストリップという、日常からは見えにくい裏社会を全速力で駆け抜けた瀧口の姿には、公的な記録からは浮かび上がってこない、人間の悲しい性やストリップ業界の栄枯盛衰がみっちりと詰まっていた。

全国指名手配を振り切り、プロモーターとして法を無視して外国人の踊り子を使うなど、世間一般の常識とは相容れないアウトローであった瀧口の言葉は、世の中の底の底を見てきた人間だけに、何のごまかしもなく、自分を守るために取り繕うことが多々ある政治家など、公人の言葉とは対極にあった。

それゆえに、社会の裏側にいながらも時代を写し出すことができるのは、瀧口のような人間なのだと私は思う。

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